代表弁護士 倉重公太朗より
メッセージ
「ニッポンで朗らかに働く人を
増やしたいという想い」
1 偏差値37からの司法試験
私は大学時代、法学部では無く経済学部でした。そのため司法試験は独学で予備校にて学びました。幸いにして23歳の時に司法試験に合格することができたので、頭が良いですねと言われることもありますが、昔からエリートだったわけではありません。
中学受験の際は偏差値37で、やっとの事で入った中学でも成績は150人中135番くらい、とても頭のよい子ではありません。学校生活にうまく馴染めずに格闘ゲームばかりしてすごく引きこもりのような生活をしたこともありますし、ちょっとしたイジメで不登校になったこともあります。
ただ、高校時代に良き家庭教師の先生に出会い、大学受験の塾で共に学ぶ友達が初めてできました。この17歳あたりから成績が一気に急上昇し、慶應義塾大学経済学部へ入学、その後の司法試験合格に繋がります。なお、大学時代は応援団と勉強ばかりしていたので、とても慶應ボーイらしいことはしておらず、彼女がいてイチャついている人にイライラしていました。
2 誰もが可能性を信じられる雇用社会に
ある程度遅咲きの人間だったと思います。世界には、13歳頃にエリートコースに行くのか、現場仕事にいくのかというキャリアを決められてしまう国もあります。
そのなかで日本は、ある程度遅咲きのキャリアも許容する国であり、意外とチャンスがある国だと思っています(もちろん、あまりに不遇な環境の人には社会として別途、手を差し伸べる必要があります)。
教育格差問題に取り組む人も多いですし、公教育や塾産業、そして大学でのキャリア支援、新卒一括採用に第二新卒市場など、チャンスはいくつもあります。企業人事としてもポテンシャル「だけ」で採用し、何のスキルも無い大学上がりの社員の能力を開発しようと努力しています。
しかし、残念なことに、様々な形で差し伸べられている救いの手を見ようとせず、環境、周りの人間、会社など全て「人のせい」にする他責的な人も一定数いるのは事実です。私は日々の労務対応でそのような方々と向き合っています。
どうして他人を責めて、自分のことを顧みないのだろうと考えます。もちろん、時代が悪いという面もあるでしょう。私はロスジェネ世代と言われ、大卒就職内定率が史上最も低かった年に大学を卒業しました。しかし、その時点では司法試験に受かっておらず、周りの就職していく友人を見て、「今年司法試験に落ちたら俺もホームレスかも」と渋谷の歩道橋で考えたものです。私は、大学の学費は自分で借金してまかなっていましたが、その分司法試験にかかる費用は親に出してもらっていました。そのため、恵まれていた環境だったと思います。
ただ、同じ環境であれば同じように人間は育つのかと言われればそうではなく、自分で大学の学費も司法試験の費用も稼いでいた友人や、新聞配達をしながら会計士になった友人が居ました。一方で、恵まれた環境にありながら、常に文句ばかり言っている人も居ました。
これは働く人も同じで、人事や上司がいくら能力開発をしようとしても自分の「可能性」を信じて自分を伸ばそうと努力する人と、自分の能力が発揮できないのは会社のせい、上司のせいと思う人が居ます。
そういう人は、自分の「可能性」を閉ざしてしまって要るようで勿体ないといつも思います。
3 「朗らかに働く人」を増やす!!
なので、私はそのような人を減らし、「朗らかに働く人を増やし」たいのです。
夏目漱石は言いました。生涯をかけてやりたいことを掘り当てない人は「生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならない」と。「中腰」では、やりたいことを見つけて「立っている」人に比べて遠くに行けないことは明らかです。
私自身、弁護士になってからも、最初に就職した事務所でやりたいことを見つけられず「中腰」でした。しかし、労働法に出会ってから世界は変わり、もっと知りたい、もっと勉強したい、もっと良い労働市場にしたいという想いが強くなり、これは仕事をしているときも、人と話しているときも、ことことカレーを煮込んでいる時にも自然と考えてしまいます。つまり、誰のためでも無い、自分自身のために、誰かのせいにするのではなくて、自分自身が心からやりたいと思える仕事、適職を見つけてもらいたいと思うのです。
「それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。」
という漱石と同じ思いです。
キャリアとは轍のようなものであり、後から振り返ることはできますが、予測は難しく、偶然に左右されます。自分も一歩間違えて、適職に出会っていなければ、毎日不明不満を言って、人のせいにして生きていたかもしれません。だからこそ、少しでも適職に出会い、「中腰」ではなく、立って、「朗らかに働く人」が少しでも増えるように企業人事をお手伝いしたいと思っています。
それが私自身の喜びであり、私自身の仕事をする理由の大きな一つだからです。