法定の割増賃金の支払と認められるためには、通常の賃金部分と明確に区分できること及び時間外労働等に対する対価性を備えていることが必要です。
解説
1 判例(国際自動車以前)から見る法定割増賃金の支払といえるための条件
毎月一定額を残業代として支払う、定額残業代制度には、基本給等の一部に残業代として定額を組み込んで支払うもの(以下「組込型」)と、残業代として定額の手当を支払うもの(以下「手当型」)があります。
労基法37条は、労基法37条及び労基法規則(以下「労基法37条等」)所定の方法で算定された額を下回らない額の割増賃金の支払を義務づけるに留まると解されており、当該方法以外で算定される手当を時間外労働等に対する対価として支払うこと自体は直ちに労基法37条に反しません(国際自動車事件(第一次上告審)・最判平29.2.28、医療法人社団康心会事件・最判平29.7.4、日本ケミカル事件・最判平30.7.19、国際自動車事件(差戻審後上告審)・最判2.3.30)。
ただし、定額残業代の支払によって、労基法37条及び労基則所定の割増賃金を支払ったといえるには、前者が後者を下回らないかの検討が必要となります。その検討の前提として、労働契約上の賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と、労基法37条等所定の割増賃金に当たる部分とを判別できること(明確区分性)が必要です(高知観光事件・最判平6.6.13、テックジャパン事件・最判平24.3.8、前掲医療法人社団康心会事件)。
この明確区分性は組み込み型で問題になることが多いですが、手当型の場合でも、当該手当内に時間外労働等に対する対価部分とそれ以外のものも含まれているという場合でも問題になります。
他方で、特に手当型についてですが、ある手当が時間外労働等に対する対価の趣旨で支払われていること(対価性)が、法定割増賃金の支払と認められることが必要です。この検討に当たっては、労働契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じて、諸般の事情(例えば使用者から労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況、労働契約上の賃金体系全体における当該手当の位置づけ等)を考慮して判断されます(前掲日本ケミカル事件、国際自動車事件(最戻審後上告審))。
なお、手当について明確区分性が問題になる場合で、明確に区分できているといえるためには当該手当が対価性を有していることが必要とされることもあります(前掲国際自動車事件参照)。
以上から、定額残業代の支払により、法定の割増賃金を支払ったといえるには、以下の2点が必要になります(①は主に組込型、②は主に手当型で問われる)。
2 明確区分性についての留意点
基本給又は手当に一定額の残業代を組み込んでいる場合に、通常の賃金部分と、割増賃金部分とを明確に区分する方法ですが、定額残業代の金額を明示すればよいでしょう(例えば、「基本給25万円、このうち時間外労働に対する割増賃金として3万円を含む」という形式)。
明確区分性が求められるのは、既述のとおり、定額残業代の金額が、労基法37条等所定の方法で算定される割増賃金の額を下回らないかを検討するためです。これには金額の明示があれば十分であり、これに加えて、時間外労働等の何時間分であるかまでの記載は必須ではないでしょう。
他方で、例えば「基本給に1か月10時間分の時間外割増賃金を含む」と対応する時間外労働等の時間数のみを記載する例もあります。しかしながら、金額を明示する場合と比べれば、一見して通常の賃金部分との区別ができない点で、明確区分性としては劣ります。
また、明確区分性については厳格に解するべきで、割増賃金の計算式が周知されており、現実に、毎月、計算式に従って割増賃金が計算され、超過した割増賃金がそれぞれの支払い期に精算して支払われていたような場合はともかくとして、計算式も周知されてない状態では、労働者が毎月の割増賃金額を算出し、不足額の精算を求めるのは妥当ではないとし、明確区分性は認められないというのが相当であるとの見解もあります(前掲白石ら編著「労働関係訴訟の実務」133頁)。
このため、定額残業代部分の金額を明示する方がよいでしょう。
なお、個々の労働者で定額残業代の金額が異なる場合は、就業規則(賃金規程)上は、基本給に定額残業代を含める旨とともに、金額については個別に通知する旨を定め、個別に金額を通知する方法が考えられます。
3 対価性についての留意点
ある手当が、対価性(時間外労働等の対価の趣旨)を有しているといえるかの判断に当たっては、上記のとおり最高裁が挙げた「諸般の事情」が考慮されます。
これに照らすと、対価性が認められるために、使用者は、最低限、労働契約書や就業規則に当該手当が時間外労働等の対価として支払う旨を明記するとともに、労働者に対してその点も含め、割増賃金について説明しておくべきです。
また、最高裁の挙げた要素のうち、「労働者の実際の時間外労働等の勤務状況」については、最高裁(前掲日本ケミカル事件)は、当該手当の額が相応する時間外労働等の時間数との乖離が大きくないことを指摘し、対価性を肯定する一事情としています。対価性の有無の判断は、結局は、労働契約の内容や、契約当事者の意思について、諸事情を踏まえた総合解釈なので、上記乖離の大小のみが決定的な意味合いを持つものだとは解されませんが、定額残業代の導入の際には、実際の時間外労働等の時間数やその見込み時間数を調査し、それを踏まえた金額設定をするとよいでしょう。
なお、最高裁が挙げた諸事情はあくまで例示であり、それら以外の事情からでも対価性が認められるのであれば、割増賃金の支払と認められると解されます。例えば、定額残業代の制度導入時の検討資料上に割増賃金の趣旨として定める旨や、金額の設計に当たり実際の時間外労働等の実績から見た平均的な時間数に相当するものとするというような記載があったり、労働組合との協議で定額残業代と扱うことが確認されているような事情も、対価性を基礎づけるといえます。
4 差額支払合意や支払実績は、独立の条件ではない
定額残業代の支払により、労基法所定の割増賃金を支払ったといえるには、①明確区分性、②対価性に加え、労基法所定の方法で算定した割増賃金が、定額残業代を超過した場合に、その超過分を支払う旨の定めや、さらには超過分支払実績があることも必要だとする見解もあります。
まず、この差額支払合意や実績を要するとした判例はありません16。
ただし、前掲テックジャパン事件最判では、差額支払合意が必要だとの補足意見が述べられており、以後、この影響を受けてか、下級審でも差額支払合意やその実績が必要とする裁判例が出ましたが、一方で不要とする裁判例もあり、混乱が見られました。
この点については、労基法所定の方法で計算した割増賃金の額が、定額残業代の額を上回れば、当事者の合意の有無にかかわらず、その差額を支払うべきは労基法上、当然のことです。そして、定額残業代に明確区分性または対価性があり、したがって割増賃金の趣旨と認められならば、その支払いは、法定割増賃金の弁済と認められるものです(前掲白石ら編著「労働関係訴訟の実務」122頁)。そして、前掲日本ケミカル事件最判も、定額残業代の支払によっても不足があれば使用者は支払う義務を負う旨を述べるに留まっており、差額支払合意が必要である旨は述べていません。
したがって、差額支払合意やその実績等は、定額残業代の支払が法定の割増賃金の支払と認められるための独立の条件とは解されません。
ただし、上記のとおり、差額があれば支払うべきは当然ですから、賃金支払期に差額の精算は確実にすべきであり、その前提として、差額支払いの旨は個別の労働契約なり、賃金規程等に明記して置く方が、トラブル防止の観点からも妥当でしょう。
5 相当に長時間分の定額残業代は無効とする裁判例もあり
実務上、時間外労働等80時間や100時間に相当する額の定額残業代が設定されている例があります。
そのような相当長時間の時間外労働等に相応する定額残業代の定めは、たとえ明確区分性や対価性があったとしても、公序良俗違反(民法90条)を理由に無効とする裁判例が散見されます(例えば、ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件・札幌高判平24.10.19、イクヌーザ事件・東京高判平30.10.4等)。時間外労働80時間や100時間分の定額残業代の設定は、それだけの長時間労働を恒常的に行わせるものだとの理解を前提に、公序良俗違反をいうものです。
また、月約100時間分の時間外割増賃金に相当するという営業手当について、100時間という長時間労働を恒常的に行わせることを是認する趣旨で、割増賃金の支払とする合意がされたと認めることはできないとした上で、営業手当内部での明確区分性がなく、割増賃金の支払と認められないとした例(マーケティングインフォメーションコミュニティ事件・東京高判平26.1.26)もあります。
いずれも定額残業代の設定が、一定の時間外労働を恒常的に予定させるとの理解に立っている点や、公序良俗違反等の理由付けには疑問がありますが、時間外労働の上限規制(労基法36条)も導入されたこともあり、今後も同様の観点から定額残業代の定めを裁判所が無効と判断してくるリスクは。このため、定額残業代の設定に当たっては、36協定により許容される月の時間外労働の原則的上限である45時間以内とし、特別条項の発動を前提とする80時間超などの設定は避けた方が無難でしょう。